華寿過ぎて・・・これからの準備

華寿(70歳)を過ぎた独身女性、子供の無い不安、生活苦、節約、貯蓄など、時々生活の楽しみも書いています。

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久しぶりに胸に響いた物語「ウズタマ」。その誰もが、もしかしたら自分であっても不思議じゃない。3

3歳の周作とその父、幼い周作の面倒を見た村瀬、周作の母。どこにでも有りそうな家族を巡る、ある物語。誰も悪人じゃないのに・・・

 

3.周作の父親

 

愛した相手と結婚し、家庭を持ち、子供を授かり、仕事に忙殺される父親。

息子(周作)は少し育ちにくい子供だった。僅かに幼稚園での集団行動が取りにくく、言葉が遅い。野菜が嫌いで夜泣きをする。

父親は時間が経てば追いつくからというが、母親は若干育児ノイローゼ気味である。

 

夜、家に帰る前に焼き鳥屋で一杯だけ飲まないと家に帰れない。

家に帰りたくないのだ。

家では、3歳の周作がニンジンを食べられないと泣く前で、妻はこれを食べないと二人で死ぬのだと目を吊り上げている。

そんな生活の中、妻は実家の両親の介護の為、周作と夫を残して家を出てしまう。

プールで周作を3時間も忘れて寝こけてしまう父親。

彼は心底疲れていた。

 

そんな時、周作の面倒を見てくれる大学生(皆瀬)に頼ってしまっても、父親を責めることができるだろうか。

彼は思う。

なぜ妻とはこのように暮らせないのだろうか?

妻は育児を放棄してしまっているし、自分は浮気をしているわけでもない。

罪悪感を持ついわれはない。

でも、妻を殺してしまった。かつて愛して、今だって憎んでいるわけでは無い妻を。

 

そして、その罪を村瀬に被せて暮らしていた。

周作の為に・・。

 

やはり、この物語は、どこかで出会っている自分の物語りだ。

今、これを書いている自分が、誰も殺さず、詐欺もせずに生きているのは、ほとんど偶然の神の恩寵としか言いようもない。

周作の父親も母親に殺意を持っていたわけではない。

かつて愛して、子供を授かった相手である。

もしかしたら、その瞬間だって、どこかで愛していたかもしれない。

 

ほんの偶然の行き違いが人生を決める。

その恐ろしさに、ちょっとおののく。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

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