昨日に続く「灯台からの響き」であるが、その中に「目を見張るほどの幸運」というフレーズがある。
それは、知ろうと思わなければわからない幸運だというが、自分の「目を見張るほどの幸運」を考えてみた。
給与計算をしていて、後一人と言う時にプリンターが動かなくなった。
明日は支給日だから、今更修理を頼んでも間に合わない。
だいたい、20年も使っているので、保守も効かない。
スイッチやら再起動やらあれこれしても動かない。
う~~ん、と、していると、奇跡的に動いた。
なんという幸運。
姉が買った「ゆうすげ」が毎日花を付けている。
黄色くて、ちょっと儚くて優しい花だ。
1週間ほど毎日花を咲かせている。
この姿が見れて幸せだ。
今朝、お菓子「玉だれ杏」を食べたら美味しかった。
美味しいと思って食べられるのは何て幸せだろう。
姉が一昨日に熱を出した。
朝には熱は下がったが、安静にするように言い、夕飯は何か食べられるかと心配しながら帰宅した。
私も少々バテ気味なので、セブンで焼きそば、お握り、マカロニサラダ、アップルパイを買って帰る。
結構、姉は食欲が有り食べてくれた。
何と幸せだろう。
セブンですぐ食べられる食品が買えることも幸せ。
それに何と言っても、目を見張るほどの幸運は、今私が働けている事だろうか。
色々言っても、実家を畳んで50目前の再スタートで、お金も住むところも無い状態だった。
65歳で年金が貰えるようになっても、勿論それで暮らしていかれるほどの額は貰えない。
それでも何とか暮らしていかれるのは、姉が一緒に住もうと引き取ってくれたのと、今、まだ働かせてもらえて給料を貰えているからだろう。
働けている間は年金を繰り下げ、少しでも受給額を増やそうとしている。
10年繰り下げれば、単身女性の平均生活費に漸くなる。
後は、できるだけ甥達に迷惑をかけずに生きていきたい。
それが出来れば、それは「目を見張るほどの幸運」だと言えるんじゃないだろうか。
最後までお読みいただきありがとうございました。