華寿過ぎて・・・これからの準備

華寿(70歳)を過ぎた独身女性、子供の無い不安、生活苦、節約、貯蓄など、時々生活の楽しみも書いています。

スポンサードリンク

生きるための力はどこから出るのか

貸家に漸く借り手が決まりそうでほっとしている。

全く、ただ空き家にしておくには、色々経費が掛かりすぎる。

畳替えやら色々で、今年は大きなマイナスである。

 

入れば使いたいの性分で、家賃分は保険やら個人年金やらで消えていくので、家賃が入らない期間、それらの経費を支払うのがとても大変だった。

年金で補填していたが、勿論それだけでは足りなくて、貯金を切り崩すことになった。

 

まぁ、貯金が有って良かったと思えばよいのだろうが、もう頭から振っても何も出ない。

支出に収入が追い付いていない・・

 

今「わが殿」を聴いている。

大野藩の藩主・土井利忠に10万両という藩の借財返済を命じられた内山七郎右衛門の物語だけれど、殿は借金返済だけでなく、無理難題を押し付けてくる。

気に入らないと白扇を投げてくる。

これって、今ならパワハラかなぁ・・なんて思いながら聴いている。

でも、パワハラする相手を尊敬できれば、それは思慕と言うのか。

殿の傍にいたい。その思いが研鑽を積ませ、努力をさせる。

 

内山七郎右衛門は、節約では藩の債務を無くすためには、追い付かないと判断する。

そして収入を増やすために、全国に大野屋を展開する。

ついに、4万石の大野藩を実質30万石相当の経済にまでする。

節約では無く、収入を増やさなくてはいけないんだなぁ。

 

終章で、殿が亡くなられる。その時、先に逝った弟と共に、殿がいつか待っていると納得する。

そして、残された人生で土井家の人々と大野藩士たちを支え続ける。

しかし、私は先に逝った母も父も、そしてあの人も待っているとは思わないし、待っていて欲しいとも思わない。

死んでしまえば終わりで、もうあの世で花見も何も有るものかと思っている。

もう次の世もいらない。

 

今できることをやって、それでこの世を終わりたいと思っている。

 

明治の廃藩置県後、土井家は子爵家となり、それを大野屋は支えたというが、その後の大野屋の記述は無い。

それもできれば知りたいと思う。

 

いつか大野に行ってみたいものだ。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

スポンサードリンク