華寿過ぎて・・・これからの準備

華寿(70歳)を過ぎた独身女性、子供の無い不安、生活苦、節約、貯蓄など、時々生活の楽しみも書いています。

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「生きる」という意志表示

安曇野だより

 荒地が茶色かったのに、いつの間にか雑草の芽が出て緑になっている。タンポポが咲き乱れていて、空き地が黄色で埋まっています。田圃の畔も緑になりました。

 

「生きる」という意志表示

◇ ペースメーカの手術の時期が来た

 叔父は7年ほど前に、心臓に欠陥が見つかり、ペースメーカーを体に入れた。その取り換え手術の時期となったようだ。

◇ 叔母は迷っている

 その後、叔父は血液をサラサラにする薬を飲み始め、その副作用なのか内出血をしやすくなった。転んだことがきっかけで、脳内に内出血ができ、入院となったのだが、その時、院内感染によりノロウイルスに感染した。暫く面会謝絶となり、自立歩行ができなくなった。叔父も叔母も80歳を超え、叔母一人で歩けない叔父の面倒も見られない事から、施設に入所する事となった。

◇ 叔母の体調も万全とはいえない

 昨年、叔母も癌の手術をし、この頃は眩暈やつまずくことも多いらしい。体調も万全とはいえず、そのような時はとかく気が弱くなる。自分にもしもの事があった時、叔父一人を残していくことが心配だという。

◇ お金がみるみる減っていく

 今は施設に入所するのもなかなか難しいが、叔父はつてをたどり、新しく綺麗な施設に入所できた。一応期間は区切られず、最後まで入っている事ができる。叔父はその年齢にしてはまぁまぁの年金で、施設の費用は彼自身の年金で賄えるらしい。問題は残された叔母の生活費で、1人暮らしとはいえ、とても彼女自身の年金では暮らしていかれないという。家屋敷や、少ないとはいえ田畑、預金が有る状況では生活保護というわけにもいかないのだろう。だから、預金を切り崩して生活することになるが、これから先、何年続くかわからない状況で心配だという。

 だから、叔父のペースメーカーの手術はせずにこのままでおきたいというのが、彼女の主張だ。

◇ 親族の意見

 叔父たちには子供がいないので、一番近い親族は甥姪になる。私たち姉妹も姪にあたる。姉は、私たちが叔父たちの面倒をみているわけではないので、叔母がどのような判断をしても口を挟む権利は無いという。叔母がもうこのままにと言うのならば、仕方が有るまいという意見だ。

◇ 主治医の意見

 今後の事について相談ということで、主治医の診察と打ち合わせがあった。叔母は手術はせずこのままで・・と主張したが、主治医は「本人の意志を確認し、身近な人達で話し合ってくるように」との説明だったそうだ。

◇ 本人に「生きる」という意志表示をさせる残酷さ

 本人の意志確認と言っても、どのようにするのか。「手術しようね」というのなら、まだ先のある選択だけれど、「もう止めよう」という意志なんて確認しようもない。何と残酷だと思ってしまう。

 叔母も後1年なら頑張れると思う。2年、もしかしたら3年でも頑張れるかもしれない。しかし、10年続いたらどうしようと思うのだろう。結局の所、詰まる所はお金の問題だ。出ていくだけの生活が不安なんだろう。叔父は心臓弁の手術もしていて、それが10年~15年、つまり長生きしても後5~6年の寿命という事だ。だとしたら、叔母の生活費として、彼女の年金の他に毎月10万、年間120万円を切り崩し、600~720万円、大雑把に1000万円有れば叔父も天寿を全うできるという事になる。折々の話から察するに、そのくらいのお金は持っていそうな様子だ。しかし、不安なんだろうな。

 叔父の事だけでは無く、自分の身の処し方も含めて今後どうしていけば良いのだろうか。

 

食費を減らしたい

安曇野だより

 桜が散ってしまいそうです。でも、朝晩は寒い!花桃も咲きはじめました。阿智村では花桃祭りが始まっています。

 

食費を減らしたい

◇ 何故かパンの大きさが小さくなった気がする

 先日姉と、大好きなティブレイクという蒸しパンが小さくなったと話した。値段も数十円上がっているのだが、大きさは随分減った。それに合わせて、色々な食品の1袋の容量が少なくなっているという話に続いた。極端な値上げが出来ないかわりに容量を減らしている。お店も大変だけれど、実質消費者は値上げに苦しむ事になる。介護保険料も上がり、葉書の郵便代も上がるという。インフレ目標2%というよりも、実質賃金目減り2%はゆうに実現している。

 

◇ 平均的な家庭の食費はどのくらいだろうか

 総務省の家計調査(2015)によると、単身で勤労者世帯の月の食費の平均は約4万5600円です。内訳は自炊費的な食材費に1万300円、菓子類に約2500円、調理食品に約7600円、飲料に約3900円、酒類に約2300円、外食に約1万8400円、賄い費に約500円とのことです。私はお酒は飲まないので、若干その分が助かるかな。でも、45000円を30日で割ると約1500円/日ですが、そんな所で済んでいるのでしょうか。

 昨日、姉は親戚にデコポン8個4980円をお土産に持っていきました。1個622円(自分じゃ食べないけど、まぁ、食べたとして)。出かけていて忙しいのと疲れたので、夕飯はおにぎり1個198円。串カツ350円(1人分)インスタントのおみおつけ120円(1人前)サラダ、お浸し。これだけで、1290円プラスアルファ。これにコンビニでお昼を買って、朝にセブンカフェを1杯なんてしていたら、とんでもない数字となる。それに、何故かコンビニで食事を買うと、結構お店でランチを食べるくらいのお金となってしまうのだ。

 

◇ 1食100円なんて夢のまた夢

 家で食べるものは姉の管理なので、私がお弁当を作らなければ、そのお弁当代、お菓子代、外食代が私の負担という事になる。お昼は目標は100円なのだ。スーパーの6枚切りの食パン、お茶やコーヒーは事務所で出してくれる。理論上は十分可能なのだが・・・。野菜サラダとゆで卵の1つも持っていけば充分だと思うのだが、何故か???まぁ、パン屋さんで美味しさそうなデニッシュ1個買っただけで、300円近くするのだから仕方が無いか。良く、1ヶ月20000円の食費とか、

 

ひと月9000円の快適食生活

ひと月9000円の快適食生活

 

 とか・・。本当にまねできないわ。あ・・、ひと月9000円ということは、1食100円か・・。

とりあえず、我が家では賞味期限が切れても終わるまで食べさせられます。

半日悩んで「焼き上げ銀鮭の切り身」を買う

楽天で買い物をすると、「メールを受け取らない」?と設定しないと、色々なお買い得商品のお知らせが届く。わりと見るのも好きなので、それは良いのだが、見ると買うのが難点だ。今回は「焼き上げ銀鮭の切り身」1切れ60g、16切れ、冷凍で食べるときにレンジでチンのお手軽だ。実は私、塩鮭が好きなのだ。

◇ 家では魚を焼けないわけが有る

 実は、姉が数年前に病気を発症し、ほぼ全快しているのだが、体質が変わり、魚を焼く臭いに耐えられなくなった。外食で焼き魚を食べるのは構わないのだが、家で魚を焼くと匂いがこもるという。電子レンジを使っても、レンジに臭いが付いて気になって使えないという。そんなわけで、せいぜいが、缶詰めの鮭缶が出てくるくらいだ。それも年に何回かと言う頻度である。

◇ お弁当に良いんじゃないか

 だけども時々塩鮭を食べたい私。セブンイレブンにある焼き塩鮭に目を付けた。しかし、1切れ298円。あまりに高価ではないか。できれば1食100円くらいでお昼を食べたい私にはちょっと悩む値段だ。でも、16切れ、食べれなければ、またそれも高いし・・・たかが、塩鮭に何となし半日悩む。以前、15g30切れというのを買った。美味しかったのだが、一人で30切れは食べつくせなかった。でも、賞味期限は1年以上ある。ご飯だけ持ってくればお昼になるし、たまたまあったポイントを使えば1切れ114円。これなら射程範囲か。

チビからのSOS

安曇野だより

 春爛漫です。田圃もちらほら水が張られ始めました。この田圃に雪の残る北アルプスが写ります。

 

チビからのSOS

◇ チビからメールが届く

 チビからメールが届く。お母さんが風邪ひいて熱を出しちゃった。妹もゴホゴホつらそうで、私もコホコホしています。と、言っても、私に来たメールではない。彼女らはタブレットを使った学習アプリをやっていて、そこにメール機能が付いている。お父さんに出したSOSである。お父さんはただ今単身赴任中で、お母さんと子供達はさぞかし心細かろうときにかかる。

◇ お婆さん焦る

 「お母さんを大事にしてあげてね」とメールを送ったものの、遠く離れているので、何もしてあげられる事がない。でも、小学生の子供だけでご飯食べられるかしら等々、老婆心は募っていく。

◇ まずはすぐ食べれるもの

 とりあえずは、すぐ食べれるものが必要かしらと近くのスーパーで果物を買う。バナナ、ミカン、キウィ、先日買った「三輪山勝のお湯かけ早麺」。これはインスタントラーメン並みで、お湯をかけて、そのままレンジで3分。美味しいにゅー麺ができる。お蕎麦とおうどんもある。これを2つづつ。最近通勤路沿いにできたパン屋さんに、美味しいパンがある。電話で注文して帰りに受け取る。甘いデニッシュ、グランベリーとチーズの入ったパン、干し葡萄の渦巻き型のパン、ミルクフランス等々、パン屋さんで受け取ったら結構な量になった。スーパーで貰ったちょっと大きめな段ボールにギッシリ詰める。ヤマトさんに翌日午前中と指定して、送り賃が1600円。170円のバナナを1000円以上かけて送るのも馬鹿としか言いようが無いと心の中で思う。パンをこんなに送って、食べきれないと怒られるかしら・・、具合の悪い時に荷物を送ってきても面倒なだけだわとお嫁さんに思われるかしら・・と送った後から少々後悔をする。

◇ パン屋さんみたいだわ!

 翌日午後、さて、届いたかしら?と心配していると、電話が鳴る。お嫁さんから「非常食が沢山届きました」と笑いを含んだ声。チビに代わって、「パンが一杯でパン屋さんのようだよ!」という声。お母さんの風邪の具合は?と訊くと、もう大丈夫ですとのこと。やれやれ、ご機嫌も悪くなさそうだ。ほっとする。しかし、私のタガが外れる性格はなんとかしなくてはいけない。多ければ良いというものでもあるまいと思う。

 そんなこんなで、今月の予算はばっちり赤字。毎日修正予算を計上している。

 

突然の訃報

安曇野だより

 桜が満開になりました。菜の花も黄色に咲いています。

 

突然の訃報

◇ 1通の葉書

 金曜日に家に帰ると、30年前の同僚から葉書が届いていた。ちょっと慌てた文字で、葬儀の連絡だった。

◇ 内容は30年前の上司の訃報

 昨秋から病気療養中だったのが、11日にご逝去されたとの連絡だった。毎年お年賀だけは出していたが、今年は何の連絡も無かったので、もうご迷惑なのだろうか。来年は控えた方が良いのかなどと考えていた。お元気な姿しか思い浮かばなかったので、一瞬呆然としてしまった。立派な方だった。

◇ 悲しくて仕方が無い

 信じられない想いで、時間が経つにつれ、悲しみが増してくる。今の私の周囲にはこの上司を知っている人もいないので、話もできないし、かつての同僚に電話をするのも憚られる。なぜなら、もう30年近く会ってもいない人達なので、何とは無し話ずらいのだ。でも、誰かに聞いてもらいたくて、ここに書いてみた。

 出会いは25歳の時

 大学院を出たものの、女の子の就職口は無くて、担当教授がアルバイトの口を紹介してくれた。某研究所のアシスタントで、その時の上司だった。仮にAさんという。多分、当時30半ば、40代では無かったと思う。明るい、落ち着いた感情の安定した人だった。2年ほど嘱託として働いた後、Aさんが推薦してくれて所員として就職できた。殆ど怒るという事の無い人であった。人を不愉快にする言葉遣いや、しぐさは決していなかった。Aさんは仕事の実績も研究所ピカイチである。彼のアシスタントが出来た時期は本当に貴重なトレーニングとなった。私はまだ若くって、早く研究員として自立したいと焦っていたりして、地方の出張とかに連れて行ってくれとねだった。当時は女の子はアシスタントという位置付でしかなかった。出張に初めて連れて行ってくれたのもAさんだったし、社内研修に出たいという希望も聞いてくれた。北海道に出張に行った時は空港のジンギスカンが美味しいとお土産に買ってきてもくれた。私は可愛がられたと思っていたが、どうやら歴代のアシスタントをした女性は、我こそはと思っている様である。その後、女性参画などと騒がれる様になり、女の子にも研究員の道が開かれ、Aさんに推薦してもらって、漸く研究員となれた。その代わり、私も人事異動の対象となり、Aさんから離れた。Aさんは、地方の出身だけれど、中学の時から東京に出て勉強していらした。酔うと、実は初恋の女性が東京に行ったので、それを追いかけて上京したかったのだとニコニコと話していた。まだ寝台特急のある頃で、出来立ての報告書を持って飛び乗ったりした思い出も懐かしい。愛妻家で、私が勤めている頃に男の子2人に恵まれた。喪主は長男の方のお名前が載っている。もう30半ばになられるだろうか。Aさんは、どこから押しても不安げな所の無い人だった。素直に、私の人生で最も尊敬ができ、好意を表せる男性だったといえる。年に1回年賀状をお送りしするだけであったが、生きていらっしゃると思うだけで、何とはなく安心していた。どこかで、「やあ元気そうだね」と言ってもらえる事が有るかもしれないと妄想していた。もう、そんな事は無い・・・。ご葬儀には参列しなかった。ちょっと、東京まで出かける元気が出なかったし、行っても会えるわけでもなし、ただ行き帰りに一人で泣いてくるのも・・・

 どうか安らかにお休みください。遠くからですがご冥福をお祈りいたします。

                                    合掌

 

 

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