何で30%?
何となくの直感。
寒いとできるだけ動きたくない。
だから、用事も2つ3つ纏めてから動くことになる。
ますますカロリーは溜まるなぁ・・。
草むしりをしようと思っていたのだが、寒くなり、遂に綺麗にせずに終わってしまう。
寒いんだもの、外に出たくないよう・・。
愛子様が20歳になる。
あの赤ちゃんが・・・と思う。
それどころか、天皇陛下が「ナルちゃん」として美智子様と手を繋いで歩いているのを覚えているのだから。
ティアラは黒田さんのを借りられるそうだけれど、それも、今の国民の気持ちを慮っての事だろう。
祝宴もお茶会もなさらないと言う。
せめて、心からのお祝いを申し上げたい。
20年という歳月は長いのか短いのか。
多分、私は後20年近くを生きなければならない。
それも長いのか短いのか・・。
20年前の私。
父親から引き継いだ会社を閉じた。
いや、それは綺麗ごとで、1回目の不渡り手形を出して、次の日の朝、関東国税局が始業前の会社のドアに待っていた。
あっという間に銀行口座の差し押さえ、売掛債権の差し押さえをされて、2回目の不渡り手形となった。
在庫も差し押さえられたのだが、こんな田舎で、そんな時に在庫を取っていく人がいて、微妙に在庫が減っていく。
その時、関東国税局の人が言ったのは、「倉庫の前に布団を敷いて寝ずの番をしろ」と言う。
今思うと、よく言うわ。
その後は怒涛の毎日。
何年経っても、ふと不安になり、夜、2階の寝室からトイレに降りるたび、明日の手形を考えなくても良いのだと、自分に言い聞かせた。
家も無くし、ほぼ無一文、いやほぼではなく、本当の無一文になった。
50歳を前にしてのマイナスからの出発だった。
個人保証の借金は残っていたからね。
幸運だったのは、再就職ができて、こうやって長い間勤めていられることだ。
15年かけて、やっとその借金も片が付いたけれど、定年の再雇用で給与も減ったから、思うほどにはお金は貯まらない。
まぁ、借金しないで生きているだけで上等だわね。
後は、迷惑かけないで死ねるだけのお金を用意しなくてはいけない。
でもね、ただ死ぬことだけに向けて生活するのも退屈だ。
どうせ生きるなら、楽しい事を考えて、佐藤愛子さんじゃないけれど「ああ、面白かった」と言って死にたい。
そう思って生きれば、面白い事はけっこうある気がする。
寒かったけれどね、今日の山は綺麗だった。
山裾は、まだちょっと紅葉が残っているかな。
最後までお読みいただき有難うございました。