小豆島への旅はあえなく消えて、会社には2日間のお休みを取ってあったので、家に籠っていた。土曜日はガソリンスタンドの何とか祭。ご招待状をくれた人への義理で出かけるが、何も買う物がない。ご接待もどんどん規模が小さくなる。当たり前だよね。買ってもらえないんだもの。こんな催し、いつまで続くかな。結局、いつも日常的に物が溢れていて、この日を目指さなくても物が調達できるんだ。30年前(私が田舎に帰って来た頃)は農協祭も賑やかで、大きな農機などは買えなくても、野菜や出店が沢山あって、とても楽しかった。今は白菜と林檎の特売でもするところが関の山だ。
で、旅行社からキャンセルの電話が入ったので、午後からは上田まで葡萄を買いに行って来た。何もわざわざ上田まで。。と思うけれど、安いのだ。スチューベン4kg1800円、クイーンニーナ4kg2500円という安さである。一度だけアウローラという葡萄も出ていた、これも4kg2500円、たまたま楽天で見たら1房6500円であった。もちろん自家消費用で、多少不揃いだけれど、味はしっかり美味しい。
土曜の夜は雨風が酷く、家の表札が飛ばされていた。でも、大水もでなくて、家も飛ばされずにほっと一安心である。
そして日曜日の夕方、1本の電話が入っていた。先日お金を貸した人からの電話。家に電話が来るとビクビクする。姉も傍にいるし、とりあえず無視した。月曜日、朝ゴミ出しに出ながら電話をする。わざわざ電話が来るのは理由はわかっているのだが、まぁ、電話。「今親戚の葬儀で遠方にいる。今日の返済はできないので、明日にしてくれ」どうせそうだと思った。はいはいと返事をする。明日にしてくれっていっても、明日は返せるのかい??月火とお休みをしているので、確認はできない。入っているやらいないやら。ドキドキだ。205万円のお金は大きい。帰りに記帳してみよう。それは別にしても、今日からまた出直しだ。むやみやたらにお金を使うのは止めなくては。この休み中にギャンブル依存とたたかう (新潮選書) と言う本を読んだ。ギャンブル依存は病気で、治療しなければ治らないという本なのだが、私にしてみれば、人生、至る所が丁半博打である。これ以上、お金をかけてドキドキなんてしたくない。この205万円も負ける確率が高いギャンブルをしているようなものだ。絶対返してもらえるなんて思っていない。それでも貸せるのだからこれは病気だ。そして、さらに貸せろと言ってきたらどうするか??4分6の確率で貸してしまいそうな気がする。貸せる確率が6分です。
何と言うか、聞かれた事は答える。頼まれた事は全力で応じるという姿勢が、自分の中に育っていて、これをかわすことができない。お金を持っていれば、最後の1円まで貸さないと不誠実な気がする。これも立派な病気だな。貸したお金の事もチラチラ考えていて、「貸せてくれ」と言う方がどれだけ苦しいかなどと思っていた。前回も返すのに「足りない分は年金で・・」なんて言っていたけれど、結局返せれなかったようで、ナシの礫だったのだもの。口座にお金が入っていたら明日のご報告だ。口座にお金が返っていて正夢となるか、影も形も見えずに悪夢となるか・・