ついにDVDまで買ってしまい、夜中に寝室のパソコンで再生しようと思った。
しめしめと自室のパソコンにDVDを入れてもウンともスンともいわない。
前は自動で立ち上がったのに・・・。
頻繁にアップデートしろと言ってきて、微妙に操作が変わる様な気がする。
うん、うん、うん・・とあちこち構いながら、ようように再生できた。
う~ん、いつかコンサートに行きたいな。
CDも素敵だけれど、この賑やかで派手な観客との一体感は映像が無いとわからないと思う。
しかし・・ねぇ。
パソコンといい、タブレットとといい、文明の利器は素晴らしいが、皆さん良く使いこなしていらっしゃると感嘆する。
たまたま私は仕事を続けていて、たまたまパソコンを使う機会があったけれど、このような強制的な環境が無ければ、きっと何もできなかっただろうな。
さて、「子どもの貧困」を放置した場合、1学年あたりでも経済損失は約2.9兆円、政府の財政負担は1.1兆円増えるという(日本財団と三菱UFJリサーチ&コンサルティングの推計による)。
子供時代の経済格差は、教育格差を生み、将来の所得格差につながるとして、生涯平均約2億9千万円の差が出るとしている。
しかし、「中卒・男性・無職者・生活保護受給者」と「大卒・男性・正社員」との比較であり、大卒という資格がこの正社員という領域を担保するものでは無くなっている現状では、どうなるんだろうか。
現実には単に進学率を向上させ、学歴をつけさせるという方向だけでは解決できない問題に思える。
今は、学歴に見合った高収入の職場の量的不足の方が問題ではないか。
そして、現状の生活では、24時間のコンビニやファミレスなど最低賃金スレスレの金額で働いてくれている人達により便利な生活が成り立っている。
生涯平均約2億9千万円の差というのは、単に所得格差を大きく見せ、政府の財政負担を大きく見せるだけの数字の遊びに見える。
では、この貧困層の子供への就学機会提供をどう具体的にしていくかといえば、給付型の奨学金は無くし、子供手当、高校授業費免除など総当り的なばら撒きをする。
本当に必要な相手に必要な支援を考えるべきではないか。
また、親の経済力が弱い子供は、高学年になっても、小1で習う「足し算の繰り上がり」が理解できないケースもあるという。
これは、親の経済力により、学習塾のような補助的教育を受けられないという意味かもしれないが、非常におかしい。
これは親の経済力云々よりも、小学校の教育力の欠如を問題にすべきだろう。
だいたい、四則演算くらいできるようにして卒業させるのが義務教育の務めじゃないのか。自慢じゃないが(もちろん)私なんて、九九ができなくて放課後残されてできるまで先生が帰してくれなかった。そんな子供はいっぱいで、塾もない田舎だったので、先生が放課後良く面倒をみてくれた。
今の先生に、残業して子供の面倒を見ろとは言わないけれど、必要最低限の教育は必要だろう。貧困世帯の高校進学率が95%前後という事は、高校進学できない学力の子供は多くても100人中5人。今なら3クラスで5人ぐらい1クラスで1人か2人になろうか。そのくらい集中的に教育していくシステムが考えられないものか。