華寿過ぎて・・・これからの準備

華寿(70歳)を過ぎた独身女性、子供の無い不安、生活苦、節約、貯蓄など、時々生活の楽しみも書いています。

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算数は言葉。生きるのに言葉が必要ならば、正確で巧みな使い方を習得しなければいけない。

昨日は病院で採血をして、うっかりバッグを持ったら、腕から血が溢れ出してしまった。

お馬鹿なせいこちゃん、とか思いながらトイレに歩いていくと、それを見た看護師さんが慌てて、「ちょっと待って下さい」と言いながら絆創膏を探しに飛んで行ってくれた。

アタフタと処理をし直してくれたが、忙しいのに手を掛けて申し訳ない事である。

でも、ちょっと大事にしてもらって、結構嬉しかった。

小さな親切でも大事だな。なんて思った瞬間である。

 

そんなで、病院に行ったので、待ち時間に出口汪と水谷一の数学力トレーニング

出口汪と水谷一の数学力トレーニング

を読んだ。

人間は4つの言語を持っている。

1.感情語(わおー、きゃあ、ムカつく・・)

2.自然言語(日本語)

3.人工言語(数式、記号、コンピューター言語)

4.芸術

人間は死ぬまで言語で考え、言語で感じ、言語で表現する。

生きるとは、ひとえにそういった行為の連絡では無いか。

ならば、なるべく若いうちに、言語の正確で巧みな使い方を習得すべきであろう。

そして、数学も言語であるから習得しなくてはいけない。

 

そして、昨日の質問

どうして算数を勉強しなくちゃいけないの?

算数ってご飯と同じなんです。

生きるためにご飯を食べるでしょ。

生きるために言語で世界と繋がっていくんです。

そして、算数は言語なので使い続けないといけないらしい。

 

 

だから、「何のために算数を勉強するの」という問いは、食事の支度が出来た時、

「何のためにご飯を食べるの」と聞かれている事と同じなんです。

ご飯食べるのは当たり前。言葉を喋るのは当たり前。算数勉強するのは当たり前。

生きていれば当たり前にやる事なんです。

 

その時、親が考える事は

・学校で嫌な事があったのか?

・病気ではないのか?

・間食が過ぎたのか?

・我が儘なのか?

等の問を発した原因を考える事が必要らしい。

 

そして、私は考えた。

先日の「僕、辞めます」のNさんは、この言語が拙かったんじゃないか。

その時、私は、

・何が嫌なのか?

・問題は何なのか?

・解決方法は無いのか?

と、もっと聞くべきじゃなかったのか。

 

私もまずかった・・

 

でも、「もう決めました」で、相談の余地は無かったよな。

「妻もそんなに我慢しなくても良いと言っている。」

って、彼は何を我慢しているのか、どうしたいのか、それを伝える方法が拙かったんだろうと思う。

 

 

 

数学を勉強する理由

おばあちゃん、何のために数学を勉強するの?

と効かれたら、何と答えますか?

私だったらうーんです。

だって、今の生活、電卓で事足りています。

もし、ちび娘が算数ができない、、と泣いたら、電卓があれば大丈夫よ。

と、笑い飛ばすでしょう。

でも、それではいけない!

理由は明日。

家族が仲良く暮らすという事は、物凄い生活の知恵

昨日の勉強法 教養講座「情報分析とは何か」 (角川新書)

での記述について、

’’

安倍政権が進めている家族的価値の重視とはどういうことか、失業・半失業などに陥った場合、あるいは年金を減らされた場合、その負担を家族に押し込んでいくという経済的合理性から政策を出していきます。伝統に回帰すると言いながら、実は本質においては、新自由主義です。                            ’’

 

でした。

どう転んでも、わりと貧しい層(私のこと)は、家族が助けなくてはいけないらしい。

友人のお孫さんが、今年公立高校と、公立中学に進学した。

30万円以上かかったそうだ。

公立なのに!!

友人の娘さんの所は、凄く質実剛健なご家庭なので、洋服類も親族からのおさがりとか喜んで着ている。

だから、余計な物は買っていないらしい。

チビ娘が、小学校の卒業式に洋服をレンタルと聞いて、へ~世の中変わったねと思ったが、きっとチビ娘の家庭もつつましく暮らしているのだろう。

チビ娘の本代とか、塾代とか、そんなお金の心配をしないですむ程度の援助ができると良いな。

それやこれや考えると、おばあさんはやはり稼がなくてはいけません。

でも、現実には、定年後の再雇用ですので、給与も下がり、自分の生活が精一杯。

稼ぐ道が見つかりません。

その辺が、情報産業や詐欺に引っ掛かる下地なんだろうな。

自動でお金が入ります。

毎日ぽちっとすれば1万円。

なんてうたい文句は信じちゃいけません。よね~~

雪降る春に未来を悩む

同僚の傷病手当が出ない件にショックを感じて、では、どの位の備えをしておけば良いのか??と考えた。

職場復帰するには、大凡200日が必要とのことで、その他、医療費も考えると、大凡1年分の年収が有れば良いかとも思う。

それに対して、私の備えとしては、今ある介護保険は満期まで190万円程払い込んで、癌の時、一時金50万円、入院3000円、手術一時金3万円である。

まぁ、先進医療特約が有るだけ良いという所で、あまり頼りにならない。

もし、1年間の年収分の貯金をして、何とか乗り越えたとしても、復帰できる職場が、以前と同じ状態で待っているかという問題が有る。

誠に、この世は生き難い。

しかし、いま考えうる手立ては無いので、あまり悩まない事にしよう。

 

先日会社で、「僕、辞めます」と1人が退職したので、ハローワークへ求人を出したところ、思いがけず早く応募があった。

50代の方で、ちょっと年配。

何とは無く、人を探す方も、職を探す方も、つてが有った方が安心な気がする。

誰それの友人とか、誰それの紹介とか。

 

Audibleで「理由」が出ていた。著者「宮部みゆき」という名前だけで買ってしまう。

理由 (朝日文庫)

 

勉強法 教養講座「情報分析とは何か」 (角川新書)は朝聴いてくるのだが、その中に安倍首相が言う家族回帰(?)という話は、つまり社会保障がもう持たないので、後は家族がセーフティーネットになれという事だというような・・事が書いてあった気がする。(ちょっと・・大分私の記憶は怪しい・・)

音で聞くのは、もう一度見直すのが難しく、この辺が上手くいかない。

人生100年時代とか言い始めたのも、100年も有るのだから、もっと働け=年金開始年齢を引き上げるという事らしい。

勉強法 教養講座「情報分析とは何か」 (角川新書)

これを読んで、数学、勉強したいな。なんて思うけれど、結局「勉強する」という雰囲気に憧れるだけで、実際には力及ばない。

最近、本読むのも体力がいる!というのが実感である。

 

米原万里の「愛の法則」 (集英社新書 406F)も買う。

もの凄いタイトルだが、最後の講演集とのことで、TalkBackで聴くには良いかと選んだ。

米原万里の「愛の法則」 (集英社新書 406F)

 

4月になって、入学式があるので、街のお菓子屋さんに「お赤飯、赤飯饅頭注文受けます」の文字が見られる。

チビ娘(私よりず~~と大きくなっちゃったけど)に中学の入学祝のお赤飯を送ってあげたいな。

もう、高校の入学祝もどうなるかわからないしね。

でも、1日遅れだと固くて美味しくないかしら・・。

お金無いしな・・。家にいるとは限らないしな・・。

などなど、ぐずぐず思っている。

 

今そこにある危機

注目の的となっていた新年号が令和と決まった

新しい時代が穏やかに経ってくれること切に祈る。

 

今朝、会社に来るとであった。

いつまでも寒い日が続く。

 

悪性リンパ腫で休職していて今日から復帰した同僚は、限度額認定書を提出したにも関わらず、3月の治療費が25万円強となった。

多分、傷病手当金はお医者様の証明が入院期間しか書いてもらえず127000円程度、2、3月の給与は無し、社会保険料は自己負担分を会社に納めなくてはいけない。

収入減と治療費だけで、大凡100万円近いお金が消えていく。

それに対して、傷病手当金、民間保険からの補填は、およそ30万円程度にしかならない。

本人曰く、おちおち病気もしていられない

げっそりと痩せた顔で言っていた。

その顔を見ながら、怒りがこみ上げてくる。

この国は、弱者に何て冷たいんだ。

8割だった傷病手当を2/3に減額し、療養期間の証明すらしてくれない。

一生懸命馬車馬のように働かせ、何かの時は自助努力で復帰せよというのか。

やせ細った体と、げっそりした顔をしながら、どこまで働かなくてはいけないのかと怒りが湧いてくる。

決して安くない健康保険料を何十年とかけ続けてきたではないか。

 

働かないと、即生活に響くような境遇が幸せな国に住む住民とは思えない。

 

まぁ、勿論生活保護になれば医療費もいらないが、そこまでではないが、毎日働いて、それで一生懸命生活して、それで精一杯な人間には、健康で働くという前提条件が崩れると、どうしてよいのかわからない。

誰もが皆、平穏な人生を過ごし、貯金をしっかり持っているとは限らないのだ。

多少良い給与を貰っていても、事情の有る借金を抱えている、家族に病人を抱えているなど、贅沢をしていなくてもギリギリの生活の人もいる。

酒池肉林で暴飲暴食、好き勝手をして病気になって・・だとしても、孤独に病んで治療もできずに過ごしてよいわけでは無い。

ましてや、真面目に過ごしてきた人が、安んじて療養できる世界であってほしい。

 

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