華寿過ぎて・・・これからの準備

華寿(70歳)を過ぎた独身女性、子供の無い不安、生活苦、節約、貯蓄など、時々生活の楽しみも書いています。

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生きていれば悪い事も沢山あるけど、良い事だってある

昨日はメチャ嬉しかった。

予約してあった本が届いたのだ。

紅霞後宮物語 第零幕 一、伝説のはじまり (富士見L文庫)

 

今回は小玉の真面目な可笑しさが良く書かれていて、なかなか面白かった。

脇目をふらず、定時退社。

読んじゃいました。でも、私、彼女の夫も好きなので、早く第5幕を書いてほしい。

小玉はまだ15歳。軍隊でお兄さんやお姉さん達にちょっとしごかれながら元気良く育っていく。いや~素直さが一番大事ですねー。好きだなこういう女の子。

その小玉の初恋です。夫(皇帝)の文琳に読ませてあげたい。頭から火を噴くだろうな。後書きも面白かったです。その初恋の相手の生い立ちも書いてあって、それだけで1幕書けそうです。少し花菜ちゃん(著者)は則天武后を意識しているところも有りそうですが、私は則天武后にはあまり魅力を感じないなぁ。美貌より実力が優る小玉の方がワクワクする。

 

頼みある仲の酒宴かな 縮尻鏡三郎 (文春文庫)

 

これも読んだ。最後の展開が意外で、あれ、本は筋の意外性が命かなと思わせる。

 

らくだ 新・酔いどれ小籐次 (六) (文春文庫)

 

この本は佐伯さんなので、無難に面白い。どうやってらくだを探すんだ~といった興味で読む。

 

あ~ん、読む本がないよ~という事で「とんでもなく役に立つ数学」をペラペラ。

そうしたら「数学は論理」という文章が目に入る。

え!数学って論理だったのと目から鱗が落ちる。

論理思考力をきたえる「読む技術」 (日経ビジネス人文庫)

 

この本を読んだとき、「自分の生き方を変えることなど難しくない。言葉の使い方を変えるだけでよい。論理力は習熟しなくてはいけない。習熟するためには日々意識する」という文章があり、自分の生き方を変えたかった私は、う~ん、論理力か・・とその言葉を気にしていた。

その割に私の文章には論理力は殆ど無いが・・。

 

60歳を何年か過ぎて、決して若いとか幼いとか言われる年では無くなった。

でも、世界は知らない事で満ちている。

その世界を広げてくれる1つの扉が本だ。

日本では、どこの地方にも図書館が置かれているし、県立図書館とのネットワークもできている。書店にない本でもアマゾンに頼めば殆どの本は取り寄せられる。キンドル本はあっという間に手元に届く。読み放題のサービスも始まった。Audobleなどは本を読んでもくれる。年々目がかすむ身としては有り難い限りだ。

知らない事を知るというのは、本当にワクワクする心の喜びだ。

今日はどの扉を開けようかと、そろそろと開きかけ、思いがけない世界に向かい合い、あっと驚く。

生きている醍醐味です。

何らかの調査に4人に1人が自殺を思った事があると書かれていた(気がする)

勿論60数年の間には死んでしまいたい、というより、生きていたくないなぁと思う瞬間もあったけれど、知らない世界(読みたい本だけれど・・)に胸踊らせて扉を開く瞬間もある。

要するに、生きていれば悪い事も沢山あるけど、良い事だってある。

その事を知っているだけでも、悪い時期をやりすごす力になるのじゃないかと考える。

 

 

年金は保険??

昨日のBULOGSに竹中平蔵氏が「自分が90歳迄生きると思ったら、90歳まで生きる分のお金を自分でためておかなくてはダメ」と書いていた。

年金は保険だから、不時のいざという時の備えなのだという。

そういえば、厚生年金保険という。そして、保険は博打の1種なので、必ず胴元が儲かるようにできている。現在の厚生年金は若者に比べて多いというけれど、確かに自分が納めた分以上に貰える確率は高いけど、会社負担分はどこへ行っているのだと不思議だ。そういうと、これは貯金ではないんだからという答えが返ってくる。

そりゃあね、90歳まで自力で生きれる貯金が出来れば良いよ。

でも、高齢単身者平均生活費16万円に健康保険等を考えて約18万円を90歳とはいわず、定年後20年生きると仮定すると、4320万円が必要だ。

ちゃんちゃら可笑しい。どこから出てくる?後1年ちょっとで。

年末ジャンボは買わなくちゃいけないね。どうしても。

しかし、年金の額がいくらかは別として、年金をまったく当てにしないで老後の人生を考えている人は少ないのじゃないだろうか。

あ、勿論資産1億円以上とか、死ぬまで月収50万とかの人達は別よ。

今テーブルに乗っているのは、将来自分の貰う年金が18万以下の予想の人達ね。

でも、女性の年金は5~10万円が46%だから、同じ不安を抱えている人は結構多いのではないかしら。

まぁ、解決策は何となくわかっているのだけれど、1つは死ぬまで働く、2つは何かに投資する。

まぁ、投資は無理だから、死ぬまで働く。何をして働けば良いかが問題だ。

仲間をつくる基準

昨日の堀江貴文氏曰く、「役に立つかどうかを優先的に考え、仲間を作れば失敗は少ない」という文を読んで思う。

わりと、私の周りには役に立つかどうかが基準になる仲間が少ない。最近悩みの種の叔父と叔母。施設にいる叔父のお見舞いに行かなくては・・と思うがなかなか気が重い。

一人暮らしの叔母に声をかけねばと思うがこれまた気が重い。叔父の場合は何を話せば良いか迷う。耳が遠いし会話にはならないし、格別変わった事もない。要するに叔父を施設に訪ねても手持無沙汰なのだ。叔母には、叔父を家に連れ帰りたいなどと言われても二つ返事で手伝いますといえない。それが変に罪悪感を感じて近ずけない。もう高齢の二人で、これから何か力になってもらえるかというと、期待する方が無理と言うものだ。今まで可愛がってもらったお返しにこちらが力になるのが筋だろう。

友人も別に役に立ってもらおうとか思って付き合っているわけでもない。

会社の同僚は仕事だし・・・。

そうこう考えていると、あるシスターからメールが届いた。

彼女は多分77歳だと思うが、20年近くのネパールの貧しい人の保育園に貢献し、帰国してもネパールから来ている労働者達の力となっている。

「役に立つ人を仲間にする」という基準から言えば本当に遠い人だ。

でも、「お前は少しは役に立つから仲間にしてやるよ」という相手よりシスターに仲間にして欲しい。

う~ん、シスターは仲間というより尊敬する相手だけれども。でも、同じ日にお茶会に誘われたら、やはりシスターとお茶を飲みながら話を聞きたい。

これが年を取ったという事か。自分の役に立つ相手を探すより、自分が相手にとって役に立ってあげられるかを探して選びたい。

裏切られた時の対処法

土曜日の午後くらいから、ろくでもない事を思い出していた。

私のモットーは嫌な事は忘れる。なのだが、何故か過去の事にとらわれる一瞬が有るのだ。脳は想像でも現実でも同様に処理するというので、思い出すのは、ただ脳の傷になることで無駄だと思いつつ、そのような思いから抜け出せない。

その様な時「堀江貴文が明かす、仲間に裏切られたときの「絶対の対処法」」を読んだ。彼曰く、その方法は忘れる事だ。消去して新しい人間関係を築いていく方が建設的である。と言う。

裏切るヤツは、もともと悪人だったというよりも、やむにやまれぬ何らかの状況の変化に対応しただけなのだ。という。

 

確かにその通りなのだ。

1番はまだ実家の仕事をしていた時に、騙し取られた手形。

相手はその気で「二人で悪人になりましょう・・」と言ってある人と組んで手形を振り出させた。まぁ、振り出した私が馬鹿だが・・。ずっと後まで、私は実際に仕事をしてくれると思っていた。あれこれで納期が遅れていると思っていた。

突然行方不明・・、回った手形は善意の第三者とやらいう事で決済を迫られる。

最近では子供が入院して退院するのにお金が無いので5万円貸して下さい。仕事で返します。といわれ、会社のお金は動かせないので自分のお金を貸したら電話が通じなくなった。ある人は、社長にお金を借りたいが・・と何度も電話をかけて来て、無理だと思いますよというと、貴女が貸して頂戴という。何度も無理だと言うが執こさに負けて10万円貸せるが、無しの礫。ある人は午前中に130万円といわれ、慌てて定期を解約して入金するもその後は一切音沙汰無し。この人は実家がまだ営業していた頃お金も借りたりして、随分とお世話になったので嫌とは言えなかった。でも私が無理して返済していたのも知っていたはずなので、こちらにも返してくれると思っていたらそうでもなかった。今から思うと「私って馬鹿な奴だ!」とつくづく思う。

そんな事を思うと、ぐんぐん暗くなる。

どのお金も将来に向いていないお金だ。もったいない。

その上、付き合っていたその時は、どの人も「良い人だ」と思っていたのだ。

誰もが私を騙すつもりだったのかなと思うと、それも落ち込む。

しかし「やむにやまれぬ何らかの状況の変化・・」と思えば、自分だってどうなるかわからないじゃないか。だからこそ、どんな状況でも見捨てず寄り添う「玉依姫」とか「女房を娶らば」などという本が売れるのだろう。人々は無い物に夢を見る。

 

まぁ、しかし・・、今日食べる食事はある。寝る屋根も布団もある。今月給与をくれる仕事もある。今聴いている五嶋みどりのCD「アンコール!」は素晴らしい。Audibleで読んでくれる「平家物語」の言葉は飛び切り綺麗だ。14日には花菜ちゃんの新刊が届くかもしれない。

嫌な事、終わった事は忘れよう。

まだ歩きなおす時間は少々残っている。

もしかして・・、もしかして・・

昨日の帰社途中、雨が上がり、山々から霧が立ち昇っていた。

緑が濃い。そこの谷から白い霧が立ち昇る。

東山魁夷の世界が目の前に広がる。大きな画よりも更に迫力ある鮮やかな景色が広がる。少し走ると、白馬オリンピックで作られた道路でちょっと高い場所がある。そこから眼下に広がる田圃は黄色く実り、如何にも田舎の風情だ。

こんな時、田舎に暮らす幸せを感じる。身の回りに溢れる美しい景色、飾らずに暮らせる優しさ。食べるものも有る。フレンチも懐石料理もほど遠いが、新鮮な野菜や果物は時期毎に直販所に溢れている。水も特に買わなくても水道水でも充分に美味しい。

美味しい中華屋さんも有る。お蕎麦も美味しい。昔と違ってケーキ屋さんも焼きたてのパンやさんも有る。そこそこの便利さで充分と思ってしまう。

 

TVで放映されたスーチーさん、グリーンのスカーフにヒスイのイヤリングをしていたのが素敵だった。いつも髪に花を挿している。オシャレな人なんだと思う。

ミャンマーはヒスイの産地だから、そのアピールも兼ねているのだろうか。

なんて呑気な事を考えていたら、ご近所が核実験。確か昨日はスーチーさんと一緒に写っていた安倍首相が官邸で会議中だという。いや~いつお帰りでしたか・・。世界は狭くなっているんだなぁ。

いろんな火種がアチコチでパチパチ。

ノンビリと桃食べた、ブドウ食べたと騒いでいたのはいつのことだろうと思い起こす事が無いようにと願うばかりだ。

このように、ふらふらよそ見をしながら歩いていたら、急に出てきた人に横っ面を引っ叩かれるような事件が有ると、今まで悩んでいた事がちょっと遠くなる。

もしかして・・、戦争なんてことになると、年金がマクロ経済政策で目減りするとか、海外に資金援助するなら国内の災害支援が先だろうとかブツブツ言っていたのがぶっ飛んでしまう。とりあえず10年先はわからないが、今月末までの予想もついて、食べるものも有り、屋根の下に眠れる事を幸せを思う。

できれば、私の下の世代、甥やその娘達が戦火にさらされる事無く生きてほしい。

実は今生きているこの世界が死ぬまで続くと思っていたが、本当に危ういバランスに支えられているのだと突然気が付く。

 

 

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