それは私です。
昨日はどこかの村祭りで花火が上がっていた。
LINEでチビ娘に動画を送ったら、電話がかかってきた。
久しぶりに声が聞けて、幸せな気持ちになった。
この様な小さな幸せな気分を、いくつも集めて小さな箱に詰めていく。
私の愉しみである。
お義兄さんが癌になった友人に、電話を入れるのを迷っている。
とても電話でお喋りなんて気分では無いだろうな。
しかし、1か月後の自分なんてわからないものなんだ。
できる事は今やって、思い残すことは無いと言いながら最後を迎えたい。
最近、簡単にできるアレコレが良く広告にでる。
例えば、足を載せるだけで何千歩も歩いたのと同じ運動量を確保できる。
例えば、勝手に投資先を決めてくれる。
例えば、運を劇的に良くする。
努力もせず(動かず)に結果は得られないと思うのだが、やはり、そう思いつつ気が惹かれる。
それは、運が良くなる「お守り」。
昔流行った「壺」と同じかな。と、思いつつ、どうしようかと悩む。
値段もね、うん十万円もしないんだ。
手に入れれば、もしかしたら運がつくかもしれないじゃない?
まぁ、とりあえず、食べるものにも着る物にも困っていない。
しかし、後もう少しの運が欲しい。
その運を何に使うのか?
チビ娘の学費、甥の車とマンションのお金、ちょっと余裕のある旅行。
馬鹿だね・・。
分かってはいるんだ、
今現在、衣食住には困らず、チビ娘が電話をしてきてくれて、本人も腕が痛いと泣き言を言っても、命に係わる病気ではない。
それって、充分幸せで幸運だって思ってる。
思っているけれど、もう少しが欲しい。
困ったものだ。
最後までお読みいただきありがとうございました。