それは楽しかった思い出でありたい。
私の両親は、臨終のとき、どちらも一人であの世に旅立ってしまった。
突然病院から、お亡くなりになりましたと連絡が入った。
慌てて会いに行った時には、もう冷たくなっていた。
今で言えば急性心不全だろうか。
叔父の時は、危篤との連絡で親族が駆け付けたものの、今晩は大丈夫そうだという事で、私だけが付き添って皆は一時帰宅した。
その夜、急変してしまった。
その時、看護師さんが「話しかけていてあげてください」と言われた。
親族が駆け付けるまで、私は意識のない叔父の枕もとで手をさすりながら、叔父に遊んでもらった思い出、楽しかった思い出、感謝の気持ちを話し続けた。
その言葉は、果たして叔父に届いていたかわからないけど。
これから先、私が誰かを看取るとか、看病するとかがあるとしたら、多分それは、一緒に暮らしている姉だろう。
そんなことを思っている時「かなたの雲」を読んだ。
菓子職人の伊佐は、自分を置き去りにした母親の看病をしながら、母親の枕辺で、父親と一緒の家族3人が楽しかった頃の話をする。
それまで、ある日突然かどわかされ、それから過ごしてきた今までの恐ろしい夢で、うなされて眠れなかった母親が、うっすらと微笑みながら眠るようになる。
楽しかった頃の夢を見ているのだろう。
それが伊佐と母親の最後の暮らしとなった。
それを読みながら、姉が病床に就くことがあれば、楽しかった話を枕辺でしたいと思った。
そのためにも、今、ちょっと無理をしてでも楽しい思い出を作っておきたい。
庭の芍薬が咲き始めた。
これもいつか、あの花は綺麗だったねと話すのだろうか。
最後までお読みいただきありがとうございました。