大風一過の13日、安曇野明科では祭りの用意がされていた。
山車は船形のお船祭りである。
氏子の人達が船の上に人形を飾り付けている。
人形飾りは、川中島の合戦の様子。
前から見た様子。
船形の山車は穂高神社が有名である。
なぜ海の無い長野県の奥に、船形の山車を曳く祭りがあるのか。
その理由は、元々ここに暮らす安曇族が海人だったという説が有力です。
安曇族は北九州から、6世紀ごろ全国に散らばり、安曇野にも移住してきたと言われています。
その証拠として北九州の食べ物「おきゅうと」と安曇野の「いご」はよく似ています。
安曇族は6世紀に移住してきましたが、長野県には縄文時代の遺跡も沢山あります。
縄文時代は16500年前から3000年前の13500年間もの時代。
明治維新からから現代まで150年、それと比べると気が遠くなる長さです。
その後、弥生人が移住して勢力を伸ばし、安曇族、大和朝廷・・人種も入り乱れていきます。
ここに自分がいることが不思議ですよね。
最後までお読みいただき有難うございました。