ここ数日見城徹の「たったひとりの熱狂」を読みふける。
「見城徹」の略歴
1975年角川書店入社。
「月刊カドカワ」編集長時代に部数を30倍に増やす。
5本の直木賞作品を生み出し、41歳にして取締役編集部長となる。
1993年、門川春樹がコカイン疑惑事件で社長を追われた時、退社。
幻冬舎を設立。
その「見城徹」が堀江貴文とサイバーエージェントの藤田晋が立ち上げた「755」に頼まれて書いたものが下敷きとなっている。
「755」のやじコメに書き込まれた不特定誰かへの「見城徹」の肉声の返事ともいえる。
どこが私の心に突き刺さるのか
見城徹にとって、「本」だけが唯一の友達だった。
私も本が第一の友達だった。
何故か、生きずらさを感じていた。
親友という友人もできた。でも、ちょっと逢わずにいると気持ちが焦る。
何か薄い膜が他人との間にあるような気が常にしていた。
だから、同じように本を見ていた「見城徹」という対象に気持ちが惹かれる。
田舎の何の取柄も無い女の子、有難い事に美貌もナイスボディも持っていない少女(誘惑に負けて、身をもと崩すこともできなかった)は、真面目に、他人より努力することしか手が無かった。
だから、人が休んでいるときに休まず動く。
圧倒的努力を費やし結果を出す。
という言葉はストンと胸を打つ。
彼の言葉は、毎日食べることと眠ることが保証され、後はただ平安に暮らしたいと思い始めた私の心に火をつけた。
昨日の「生涯現役宣言」も、この本に影響されてだ。
「まぁいいか」を否定して続け、自分に勝つ
もうダメだからが本当の努力だという。
「まぁいいか」というのは、満足していない、納得していないけれど、0点でも無いという状態。
最後まで努力しよう。
心に呟く言葉は「まだ先にいける。もっと先に行ける」。
見城徹は言う
「昨日とは違う明日
明日を生きるとき、
僕は見たこともない、新しい景色に会いたい」
「どうせ生きるなら・・人生に熱狂しながら死を迎えたい」
私も思う。どうせ死ぬのなら、熱狂しながら、もうできることは無い・・と思って死を迎えたい。
庭のクレマチスです
最後までお読み頂きありがとうございました。