昨日は会社の新年会だった。
朝から湿った雪で道路はぐちゃぐちゃ。
ハンドルを取られてちょっと怖かった。
年々冬道の運転が億劫になってくる。
それやこれやで今日は動く気にもならず、
を読んで過ごす。
「さびしい女神」は題に惹かれて買った。
何となく自分もさびしい気分がしていたようだ。
その昔、世界が二つに分かれて争っていた時、最終兵器として誕生した旱の女神「魃」。その力は天地から生気を奪い、あらゆる命を滅ぼす。
小さな醜い少女の姿をした「魃」は言う。
「わしはかつて大儀と呼ばれるものの為に戦った。皆に乞われて、この天地に生まれてきた。だが力を尽くして得た褒章は何じゃ。寒く乾いた荒原に一人放っておかれた。居るべき場所も与えられず、寂しくて、誰かと話したくて天地を放浪すれば、厄災の神として石もて追われる」
話す相手すらいないという、何という淋しさ。
しかし、王弁が現れた。
自分の力を抑えられなくなった「魃」は、王弁に「お前のいなくなった天地など、本当に絶望して何をしでかすかわからない。だから封じられることを受け入れる」と言いながら封印の檻に囲まれ山頂の拝殿跡に沈められた。
彼女は愛する者のために自分を封じた。
これからただ一人、暗くさみしい場所で永遠の時を過ごす。
作者が何も救いを残さないところが憎い。
できうるならば、封じられた「魃」のために、その父親である黄帝が分身を飛ばす術を与えてくれないかしら。
例えば・・、
ある日、「魃」が封じられている山の麓の村に小さな女の子が迷い込んできた。
村の女達は、この小さな女の子を慈しみ着飾らせて育てた。眠る時も優しく添い寝して村の民の為に自ら山頂の拝殿に座す女神への感謝の物語を語って聞かせた。
王弁の夢に度々「魃」が小さな女の子の姿で現れるようになる。その少女は彼に楽しそうに村での暮らしの話しをする。
なんて・・・