華寿過ぎて・・・これからの準備

華寿(70歳)を過ぎた独身女性、子供の無い不安、生活苦、節約、貯蓄など、時々生活の楽しみも書いています。

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小さなヨレヨレ

安曇野だより

 暖かくなってきた。ムズムズと出かけたくなってくる。産直市場も魅力的になってくる。雪中寒藍の看板が出ている。小谷村が有名で、キャベツ1玉2000円などという値段が付いていた。1/4のカットを買ってみた。甘くて美味しいが、所詮キャベツである。今年は白馬産という名札が付いている。白馬村でも作るんだ・・。

 

小さなヨレヨレ・・

 雪中寒藍の2000円で思い出したが、数年前嬬恋高原を通った時、道路沿いの農家で物凄く大きなキャベツを見かけた。あまりに実が入りすぎて、真ん中が裂けている。それはそれは立派なキャベツで、桃太郎ならぬキャベ太郎が産まれそうだった。若いご夫婦がやっている農場らしい。値段を訊くと1玉100円。あまりのお値打ち感とパリパリで美味しそうな風情に、甥の所に送ろうとすると、ご主人に止められた。重いのと大きいので、送り賃が高すぎるとのことだった。この時買ったトマトもトウモロコシも美味しかった。

 最近、体を痛める人が多い。週末に40代後半なのに、80過ぎのように腰をかがめて歩いてくる人がいる。どうしたの?と訊くと、重いものを持った途端に腰が痛くなったという。次の日、お見舞いと言って湿布をあげた。その湿布は私がお医者様から貰っているもので、よく効くが、飛び上がるほど冷たい。そうしたら、姉がお尻が痛いという。うん?お尻??実は、姉も肩に湿布を貼ろうとして、首と背中を捻った拍子にどこかをどうかしたらしい。お尻の方へいく神経に何かが触るのか・・・冬の間に体が堅くなってしまい、あちこちで不都合が連発する。

 私が背中にホカロンを貼ろうとして、首を痛めたホカロンショックは快癒した。整形外科の先生の「大丈夫治るよ」の言葉に励まされ、週一で通った甲斐が有った。それは嬉しいが、ちょっとしたことで、お金も時間も突然消えていく。

 そこで腰やら腕やら痛いという話になって、私も僕も・・と、お~い、何て年寄りの集団だろうと思う様な井戸端話に花が咲いた。今、肩の手術で入院している人は、4月復帰の予定だったが、手術の経過が悪く、2か月ほど復帰が送れる模様で、会社はてんやわんやである。誰も彼もが小さな障害を抱え始めた。

 会社では、私を筆頭に高齢化が進んでいるので、ハローワークに求人を出した。2か月、だれも応募してこない。初任給が安いかなぁ・・。概してこの会社は給与が安い。でも、田舎の会社なんてこんなもんだ。

オーストラリアからの手紙

安曇野だより

 お彼岸でお墓参りです。友人は命日には必ずお参りと言っていましたが、我が家はお彼岸とお盆だけ。親不孝な娘です。この辺では春彼岸はお墓参りしますが、秋彼岸は出かけません。彼岸の人達が呼ぶと言われています。ちょっと移動するだけで、風習が随分違います。

 

オーストラリアからの手紙

 半年ぶりにメールが届く。ネパールの女性からだ。私が10年間学費援助をした女性である。そういうと大げさな。日本では、ほんの子供のお小遣い程度である。なぜネパールかといえば、当時曽野綾子さんが出されていた本「神様、それをお望みですか」だったと思うが、邦人海外宣教師の活動を書いた本に、ネパールの大木神父様の話が載っていた。そこに、両親に幼くして捨てられた子供の話があり、それにとても心が揺す振られたのだ。私は当時、自分に自信を無くしていたのだが、無意識にこの世に未練も感じているらしく、何とか自分を必要としてくれる場所を探していたらしい。そこで、有る方を通じて、ネパールの少女の学費援助をすることにした。当時、日本に比べてネパールの物価は低く、私が出せる僅かな金額では日本では子供のお小遣いにもならないが、ネパールでは高校の学費となった。その後、彼女が大学に進学するにあたり、私の生活も落ち着いてきた事から多少増額して送金してきた。思えば、もう10年になる。ネパールの国の事情は難しい所があり、若者の職場が限られている、就職もコネや賄賂、カーストが複雑に影響しているようだ。彼女は優秀な成績で大学を卒業し、日本への留学を希望していたが、狭き門に阻まれて何年か過ごしていた。留学先を日本だけではなく、他国にほ目を向けた方が良いのではないかと思ったが、何故か拘っていた。卒業後、ある研究施設に勤めたが、日本円で5000円程度の給与で生活は大変そうだった。元気ではあるが、忙しいというメールが届いたのが半年程前だったろうか。少女もいつのまにか二十歳を過ぎ、ネパールでは結婚適齢期に突入したが、周囲からの結婚の勧めにも、変わらず留学の道をさがしていた。私も、ネパールという国内より、海外の方が彼女の才能を活躍できるのではないかと思っていた。

 そして、最後のメールから半年後の昨日、今オーストラリアに来て2週間になります。奨学金を貰っています。という便りが届いた。

 慎ましく、真面目に、一生懸命生きてきた少女が、漸く新しい天地に出る事ができた。幸いあれと祈らずにはいられない。

生きる楽しみ

安曇野だより

 あちこちから卒業や入学の知らせが届く。

 子供では無く、孫たちの・・・

 

生きる楽しみ

 サウジアラビアの王様が1000人の随行員を連れ、専用タラップを降りてきた。突然アラビアンナイトの世界に迷いだす。今の時代はお炬燵に入りながらヒマラヤ登山を見ていたり、見知らぬ世界の動物たちを見たりできる。それもハイビジョンだ。サウジの王様の来日も150年前には絶対知らなかった世界だろう。(明治維新から100年と思っていたら、150年前であった。)50年以上も前、私が小学生の頃はアラブ世界は、アラビアンナイトの挿絵であった。見るからに異なる世界の物語に、子供の頃の私は夢中になった。魔法のランプはいつの間にか石油に代わり、国営石油会社が上場するという。確かに時代は変わっている。

 それでも変わらぬ楽しみは本を読むことだ。昨日の帰りに寄った本屋で見つけた。

青い服の女 新・御宿かわせみ

 

その時の高揚感。小さな娘達の声を聞く次に嬉しい。

著者の平岩弓枝は、確か今年85歳くらいになるのではないか・・・。その年で新刊を出すということに、まず感嘆する。前作「蘭陵王の恋」は2013年の発表だったと思う。この時代の女流作家、曽野綾子も現役で発表している。皆さまお元気である。立派立派!41巻目か?何しろ、主人公の恋の時代を通り越し、息子や娘、果ては孫まで生まれそうな勢いだ。平岩弓枝の飽きを起こさせない職人芸にも脱帽である。つまらなかったという事が無い。どれを読んでも、その世界にすぐ溶け込める。今回はあまりにもったいなくてページをめくっていない。なぜなら最近読む前から満塁ホームランという本はあまりない。だから、いざという時、つまり私がめげてしまっている時のために取ってある。特効薬、頓服だ。

 今日はAudIbleで「小公女」がお薦めに載っていた。最近は姉のリクエストで、夜中に読み語りを聞きながら眠る。そうすると、何故か夢に入り込んでくるそうで、昨夜は警察に追われる夢だったそうだ。う~ん、これは困った。今日は「小公女」にしよう。

小公女も小学生の頃に読んだ本だ。突然お金持ちの娘だったのに学校の給費生になってしまう。志は高く・・。女の子の喜びそうな本だった。今の子供も読んでいるのかな?

Audibleには童話も沢山入っている。でも、子供には両親の読み聞かせに勝るものは無いかもしれない。おばぁさんには、Audible。ちょっと笑える。今夜のお楽しみです。

 

人生の迷走

安曇野だより

 今日は良い天気で空が青い。山々は稜線の色を濃くしている。爽やかな朝だった。

昨日は姉が「さかたのおやき」を買ってきてくれてあった。あんこがたっぷり。薄皮でちょっと変わったおやきである。午前中で売り切れ、発送を頼むと半月待ちだそうです。

 

人生の迷走

 先日親戚の息子が来宅した。彼は奥さん大好き。彼の妻はとても良い娘で、いつもニコニコして逆らわない。一番の幸せは良いお嫁さんを貰ったことね、と言うと、そうだと顔色も変えずに返事をする。そして、お蕎麦を打てるか?と訊いてくる。どうしたのかと思うと、お蕎麦を食べるのが、お嫁さんのマイブームだそうだ。それで、彼女のために蕎麦を打てという。

 そんな話をしているうちに思い出してきた。

 実家を清算して、仕事を探しているが、何しろ若くはないし、これと言った職場が見つからない。そこで、お蕎麦屋さんを始めようかと思った。何故かというと、お蕎麦が好きな人は山奥にでも探して食べに行く。多少立地が悪くても成り立つ可能性は高い。それに立ち食い蕎麦というように大きなお店を構えなくても良いような気がした。勿論、自分がお蕎麦大好きという事もある。丁度その頃、翁庵のご主人の本も読んだというタイミングもあったかもしれない。

 身近に日本一だと思うお蕎麦屋さんもあった。信州そばというくらいなので、お蕎麦の名店というお店は沢山あるので、できる範囲で歩いてもみた。やはり私は少し色の濃い田舎蕎麦が美味しい。そこで良く食べに行くお蕎麦屋さんに、手伝いがてら教えてもらう事にした。そこのお蕎麦屋さんは、自家農園でも作っているが、近くの契約農家にお蕎麦を作ってもらっている、地粉100%だ。農家も兼業なので、食堂で出す野菜や山菜は庭に1歩踏み出せば調達できる。裏の山も自分の家なので、秋には天然茸が豊富に並ぶ。メニューに天ぷらと書いてあるが、注文が入り次第、裏口から出て摘んできても間に合うくらいである。地産地消1分である。美味しいものが沢山あった。春はナズナのお浸し、山菜の天ぷら、アカシアの花の天ぷら、夏野菜の天ぷら、新そば、茸のご飯・・・。どれも取れたての新鮮な料理だった。新蕎麦の粉を轢きたて、目の前で打ちたて、茹でたての甘くて、ふと香りが立つ美味しさは忘れられない。

 そんな時、今の会社に勤めないかと話しがあった。やはり毎月の安定収入は魅力で就職することにした。今振り返ると一生懸命だったのだと思う。それまでの私の人生から見ると、突拍子もない思いつきだ。65歳の定年を迎え、これからもう1度という気力は湧いてこない。成功していたとも思えない。人生の迷走していた時期だった。

老後のお金の作り方について考える

安曇野だより

 今日も寒い。爺が岳の白い山頂が雲の間から覗く。そのほんの1部だけが重い雲から覗き、朝日に光っている。昨夜はふと空を見上げると、満天の星空が広がっていた。冬の星空は空の高さが際立つ。

 

老後のお金の作り方について考える

 今年の1月頃から良く考えている。何故なら、定年まで1年を切った。もう目の前に働かない生活がぶら下がっている。良く聞かれる事は、老後の蓄えは無いのか?もちろん有れば悩まない。退職金が貰えるのじゃないか?確かに退職金も貰える。しかし、私がこの会社に勤めて11年。この年数では知れている。それに零細企業。出るだけ恩の字である。使い道は定年後の市県民税、そして恐ろしいのは国民健康保険料と介護保険料である。前年度収入に応じて計算されるので、非常に割高。

 話は飛ぶが、以前新幹線で年金では生活できないと焼身自殺した男性がいた。私からすると、私が貰う年金より若干高かった気がする。生活できないのか・・とショックだった。今思うと、原因は、この定年翌年の税金と健康保険料ではないかと思う。ある程度の目算をつけて余裕のお金を持っていないと乗り越えられない。

 それと、今乗っている車が16万キロになる。もう1度車を買うつもりだ。それで多分きれいさっぱり消えてなくなる。

 では、長い間勤めていた間の貯蓄は無いのか。実家の清算をした時、それまでの貯金は無くした。ゼロからの出発だった。それが16年前。住むところだけは姉の家に居候させてもらい、今に至るが、思いがけず(??いや当然に・・)50歳過ぎての再就職に手間取った。勤めも落ち着き、念願だった両親のお墓を建てるが、やはり見積もりよりオーバーしてしまった。多少は貯金もしたけれど、我が家は私で終わり(姉は他姓にお嫁に出たので・・)なので、お墓の始末をして、菩提寺に永大供養を頼まなくてはいけない。私を入れて5人大凡200万円。

 無理してお墓を作ったのにもったいないと思うけれど、誰も見てくれない無縁墓地に両親や家族が眠ると思えば、それも気がかりだ。それと、自分のお葬式。別に参列者が欲しいという事ではないが、姉達は(多分)先に逝ってしまうので、私が死んだら遺骸を荼毘にして、菩提寺まで納骨し、市町村への手続きをしてもらうのが必要になる。これも、なんやかんやで50~100万円必要だ。そして死ぬ前、病院に入院したりする雑費、これも必要。死ぬまで今の家に住まわせてもらうと仮定して、この家を片つける費用も考えておかなければならない。そうこう考えてくると、今の貯金は不足にこそなれ、思い切って使おうなどとは夢にも思えない。

 そうすると、定年後は年金とそれ以外の収入で暮らさないといけない。では、65歳からいくら必要なのだろう。家計調査報告書から65歳以上の単身女性の生活費は156404円。その中で、住宅、食費、水道光熱費が66757円。私が家に100000円入れているので、それ以外をここから借りると、約19万円程度必要となる。この他に、年間30万程度の甥への援助を続けると仮定して、今の年金予想額12万円を引くと114万円/年間の不足。やはり、月10万円ほど稼がなくてはいけない。

 では、この不足をどうするか?道は二つだ。支出を抑えるか収入を増やすか。収入を増やすためには投資、そして安易に株にと気持ちは動く。

そんな、こんなでこの本買ってみました。

日本株 独学で60万円を7年で3億円にした実践投資法

 

株はほんの少し買っていますが、銀行利息より配当がマシかなという程度。

ついでにこの1年を振り返ると、丁度29万円程度の黒字。売っていないので利益確定していませんが・・。今の私には大化けを狙うタネ銭がない。姉が母から貰った銀行の株、当時300円ちょっと。今何と2000円ちょっと。大化けです。売っちゃえ!といったのですが、何と一時5000円を付けたこともあり、化けたら化けたで売れないようです。

 

 

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